天城山心中事件現場は心霊スポット!愛新覚羅慧生と大久保武道は純愛と言えるのか?

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

1日に放送される爆報theフライデーで
天城山心中事件が取り扱われます。
今から60年前に起きた2人の学生、
愛新覚羅慧生と大久保武道が起こした事件。
純愛を貫いたとも言われる事件について
情報をまとめてみました。

スポンサーリンク


天城山心中事件 愛新覚羅慧生はなんて読む?大久保との純愛は認められず!

 
1日放送の爆報theフライデーで特集される”天城山心中事件”
60年前の事件という事もあり、私自身も事件の詳細は全く知らず…
しかし、CMを観て少し気になったので、
調べたことをまとめていきます。

天城山心中事件とは1957年12月10日に、伊豆半島の天城山において、
行方不明となっていた学習院大学に在学中の男女2名が遺体となって発見された事件です。
この事件では男女関係の問題も非常に大きく関わっていたため、
当時、マスコミではセンセーショナルにこの事件を取り上げました。

この事故で無くなったのは愛新覚羅慧生(当時19歳)と大久保武道(当時20歳)。
まずは2人の人物像について書いていきます。


[出典;美島奏城 豊饒の海へ]

氏名;愛新覚羅慧生(あいしんかくら・えいせい)
出生;1938年(昭和13年)2月26日
死去;1957年(昭和32年)12月4日頃(享年19歳)
出身地;満州国新京市(現・長春市)


[出典;美島奏城 豊饒の海へ]

氏名;大久保武道(おおくぼ・たけみち)
出身地;青森県八戸市

愛新覚羅慧生は清朝最後の皇帝にして、旧満州国の皇帝でもあった
愛新覚羅溥儀(あいしんかくら・ふぎ)の姪にあたり、
溥儀の実弟である愛新覚羅溥傑(あいしんかくら・ふけつ)の長女でした。
そのため、慧生は”ラストエンペラーの姪”と呼ばれることが多いです。

音楽に関心があり、ピアノやヴァイオリンを習っていました。
ピアノは慧生が4歳になる頃に皇帝(叔父)から買い与えられました。
その少し後にヴァイオリンを習うようになります。
満州では皇帝のピアノ伴奏に合わせてヴァイオリンを弾いていたそうです。

幼稚園入園のタイミングに合わせて日本に来日。
以降、慧生は日本で生活を送ります。
学習院幼稚園→学習院初等科→学習院女子中等科→学習院女子高等科と、
学生生活全てを学習院で過ごしました。
また慧生は、読書家でもあったそうです。

才色兼備な女性である慧生について、妹の嫮生(こせい)は
「ユーモラスで頭の良い人なのですが、威厳というか気品があり、
姉妹といえども近付き難いところがありました」
と、本のインタビューで答えています。

一方、大久保は青森県八戸市出身で、父親は南部鉄道役員を務め、
八戸の漁具問屋の経営も行う裕福な家庭で育ちました。
学習院大学への入学を機に上京します。

大久保の人柄については丸坊主で学生帽を被り、質実剛健、
感情と行動に距離がなく、猪突猛進、愚直な性格。
都会的で洗練された学習院の学生の中では少々目立つ存在だったようです。

 

生まれも育ってきた環境も性格も全く違う2人が出会ったのは1956年4月。
慧生と大久保は学習院大学文学部国分学科に入学しました。
ここから純愛心中へのカウントダウンがスタートしたのです。

スポンサーリンク


天城山心中事件はストーカーか純愛か?大久保は結婚も猪突猛進で突っ込んだ!

 
大久保の容姿はお世辞にもシティーボーイと言えるものではなく、
学生の中でも浮き目立つ存在にありました。
また青森出身という事もあり、訛りを気にしてかクラスで1人で居ることが多かったようです。
そんな大久保に慧生は声をかけて気を配るというクラスメイトの関係から始ります。
大久保は優しくしてくれる慧生に感激し、まるで女神を崇むかのようになっていきました。
慧生は学内のマドンナ的存在であり、心を寄せる男子学生の取り巻きも多く、
決して大久保が特別な存在ではありませんでした。
ただ慧生の周りにはいないタイプの無骨で愚直な大久保の行動は、
上流階級育ちの彼女には新鮮な驚きがあったようです。

 

6月下旬、慧生と大久保は2人で会話をし、身の上を聞いたうえで慧生を自宅まで送りました。
しかしこの時、大久保が他の学習院生とあまりに異なる雰囲気をしていることに
慧生の家族の反応は厳しく、慧生は大久保の自宅への来訪を禁じました。

来訪を禁じられた大久保は慧生に次々と手紙を送り続けました。
しかし慧生は大久保のことを良く思っていない家族の手前、
その手紙を”大久保からの一方的なものである”と説明していました。

慧生に対する大久保の想いは日増しに強くなり、
8月頃に送った手紙の内容には、慧生への熱情の中に死を含ませた文章を綴っていました。
この頃の慧生は大久保に好意はあるものの、
それはあくまでも”友情”であると自分に言い聞かせていました。
というのも、大久保の実家がいくら裕福と言えど、
慧生自身が特殊な生い立ちであることを踏まえ、迷いながらも冷静さを保とうとしていたのです。
身分の格差で交際を断念した慧生と
慧生への愛情を止めることが出来なかった大久保。

11月末に慧生が体調を崩すと自宅まで見舞いに行きましたが
家族から面会を謝絶され、さらには2人の交際を“強く“禁じられました。
12月に入るとに大久保は慧生への思いを断つべく実家に帰省し、
断髪して座禅を組み断食修行を行いました。
慧生には絶縁状を送りましたが、この絶縁状が慧生の心を動かしました。

慧生は毎日のように大久保に手紙を送り、
体調を崩した事で冷静さを失ったこともあり、揺れていた気持ちが一気に傾くことになります。
慧生の手紙を見て喜んだ大久保は東京に戻り慧生を尋ねましたが、
再び面会は断られ、更には犬に吠えられ一筆書いたのみで帰路につきます。

 

年が明けた1957年2月、2人は蕎麦屋で長時間語り合った後、「婚約」を決めます。
しかしその後、冷静さを取り戻した慧生は友人達の猛反対もあり、
何度か大久保に「婚約解消」を持ち出しましたが、
その度に大久保が自暴自棄になって解消は立ち消えになるという事態を繰り返しました。
慧生は大久保との交際が家族に知られないよう、
大久保との手紙のやり取りを友人の名前で作った封筒で行うなど細かいルールを取り決めていました。

慧生は家族に2人の交際が気付かれないよう、秘密裏に付き合いを続けていましたが、
ついに2人の関係は事件の方向へと一気に駆け巡るのです。

同年12月1日、慧生は体調を崩し寝込んでいました。
すると慧生の自宅に大久保と見られる男から電話があり、
慧生がその電話口で「いらしていただいても困ります!」と珍しく声を荒らげたのです。
その日の夕方、「自由が丘まで行く」と言って慧生は外出をします。

12月2日、慧生は少なくとも3人にSOSのサインを送っていました。
親友の”オサト”
親友の”木下”
大久保が入寮していた学生寮の寮監で大久保の父の旧友”穂積”
オサトと木下には大久保が実家から持ち出した拳銃を見せ、
大久保がこの銃を使って自殺しようとしていたのを説得して預かっていると話していたそうです。
また、穂積には電話をしましたが、
風邪で休んでおり、話すことが出来なかったとされています。

12月3日、オサトは大学の移動時間に慧生を見かけ、拳銃の事について念を押しました。
この時の慧生は「ええ・・」と鈍い反応だったといいます。
しかし、オサトは慧生が特に変わった様子がなく、銃の件は何らかの形で解決したと考え、
2人は笑顔で別れました。
これが慧生とオサトの最期の会話となったのです。

スポンサーリンク


天城山心中事件はストーカーか純愛か?事件当日、慧生は何も変わらない日常だった!

 
12月4日の朝、慧生は普段通りに大学へ向かい、午前中には学生達から姿を目撃されています。
しかし19時頃、慧生が自宅に戻らない事から、家族が関係各所に電話をかけはじめました。

12月5日、穂積の元に慧生からの最後の手紙が届きました。
この手紙には12月2日(慧生が穂積に電話した日)の午後、
慧生と大久保は長時間話合い、自殺するという大久保の決意を覆す事ができなかった
と言った趣旨の内容が書かれていました。

12月6日、大久保が伊豆の地図を見ていたなどの証言から、
朝から寮生たちが伊豆方面に捜索に出る。

12月7日、新聞各紙の朝刊に
「男友達に同情して“プリンセス”心中行ー元満州国皇帝のメイ家出」
という見出しなどで記事が出ます。
捜索に加わったオサトらは4日の夕方に修善寺駅から2人を乗せたタクシーの運転手の証言を聞きました。
男性から「天城山トンネルまで行ってくれ」と言われ、
女性の方は「帰りましょう、ねえ、帰りましょう。今なら、まだ間に合うから、帰りましょう」と
言い続けていたと言うのです。
17時頃にタクシーを下車した2人。
不審に思った運転手は、その後湯ヶ島の警察に通報していました。
また、慧生はこの登山道に沿って学習院のサークルチラシをちぎっていき、目印を残していたのです。

[赤城トンネル]

12月8日、2人の足跡が八丁池方面三つ叉道付近で発見されます。
夕方、大久保家と慧生の家族との話し会いが持たれ、2人に関する一切を穂積に一任し、
穂積は新聞・ラジオを通じて「姿を現せば2人の交際を認める」と呼びかけました。

12月9日、学生らが樹木の古株の中で着替えや靴など、2人遺留品を発見。

12月10日午前9時半頃、天城山頂トンネル入り口から八丁池へ登るコースを登った雑木林の中で、
地元消防団員が2人の遺体を発見しました。
”百日紅の木の下に2人が並んで横たわっていた”とする文献もあれば、
”大久保が慧生を腕まくらしている状態だった”とするものもあります。

死因は銃弾により頭部貫通でした。
慧生に左こめかみ部分に銃弾の穴があったそうで、
右利きである彼女はこの時点で”他殺”と判断されました。
凶器となった銃は大久保の右手に握られたままでした。

 

この一連の騒動をマスコミはセンセーショナルに報じ、
”純愛心中”とまで言わるようになりました。
一方で、大久保の”ストーカー殺人”と言う声が挙がっていたのも事実です。

ラストエンペラーの姪と田舎から出てきた青年の純愛・・・

後にこの事件は「天城山中 天国へ結ぶ恋」というタイトルで映画化もされました。
個人的にはかなり事件が美化されたようなタイトルに感じます。
そして、事件そのものも純愛心中とは少し言い難いような気がします。
今でこそ”身分の違い”という概念が無いからなのでしょうか?
初めて聞いた事件の名前でしたが、
調べてみたら人間色の強い事件で少々気持ちが疲れてしまったのも事実。

現在では”天城山=心霊スポット”として名高い土地となっています。
少なからずこの事件も関係していそうですね。。。

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。

コメント

  1. 猫ちゃん より:

    心霊スポットか~(笑)二人の幽霊かな?

    1. yagichan より:

      コメントありがとうございます。
       
      2人の幽霊という意見もあります。
      麓のあたりにある白い小屋付近では白い女性の霊が現れるとネットでは情報が流れております。
      いずれにしても、悲劇であり、殺人事件であり、自殺であることは変わりありませんね。
      最近では珍しい事件という事もあり、個人的にはかなり衝撃的な事件でした。

  2. 猫ちゃん より:

    悲劇ダヨね!

  3. 猫ちゃん より:

    心中って~けっきよく死ぬ事ダヨね!

  4. suya より:

    赤城山じゃなくて
    天城だろ?

    1. yagichan より:

      コメントとご指摘誠にありがとうございます。
      正しい情報をお届けできるよう、より一層精進してまいりますので、
      今後ともよろしくお願い申し上げます。

コメントを残す

*