阿藤快の息子(画像あり)が瓜二つ!確執と因縁の親子関係に終止符!

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2年前の2015年11月に突然死をで世間を驚かせた阿藤快さん。
名脇役としてドラマなどでも活躍していた一方で
リポーターとしても活躍されていた阿藤さん。
その親しみやすいキャラクターで人気者でしたが、
実は、隠し子の息子がいたことをご存知ですか?
今回は瓜二つの息子さんの画像も載せて
阿藤さんの知られざる顔についてまとめていきます。

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阿藤快最後まで語らなかった息子の存在!初めて明かされた晩年!

阿藤快
本名;阿藤公一
1946年11月14日に神奈川県小田原市に生まれ育ちます。
大学卒業後に劇団へ入団し、演劇の道にをスタートさせます。
「教師びんびん物語」で田原俊彦さんの上司・教頭役を務め、
この役が当たり役なり、ブレイクします。

阿藤さんは明るい雰囲気で、場が盛り上がる、ステキな脇役
として、名脇役としてなくてはならない存在となります。

晩年は俳優業とリポーターを主なライフワークとし、
「なんだかなぁ~」の名ゼリフは芸人さんにものまねをされるほど、
阿藤さんの代名詞とも言えるものとなりました。

生前最後の出演ドラマは2015年に放送された”下町ロケット”でした。
死の1か月前に放送されたのが最後となります。

この撮影の2か月後、大動脈瘤破裂が原因で亡くなります。
今回、阿藤さんの死因となった大動脈瘤破裂と言うのは
心臓に直接つながる胸部や腹部の太い血管に出来た大動脈瘤が破れる病気です。
この20年で患者数が3倍以上に増え、患者さんのうち半数が突然死に至る
とても恐ろしい病気です。

阿藤さんが亡くなる2か月前から小さな異変がありました。
・セリフが入らない
・背中の痛みを訴え、マッサージや鍼治療を受けていた
と言ったことを訴えていたそうです。

そして亡くな5日前。
普段から仕事現場にマネージャーを帯同させなかった阿藤さん。
5日間のオフ後、北海道で講演会の仕事があるため、
オフに入る前に北海道行きのチケットを受けていました。

マネージャーはその時阿藤さんにこんなことを聞きます。
「身体、大丈夫ですか?」
すると、阿藤さんは持ち前の明るさで
「大丈夫大丈夫!」と返事をしたそうです。
これが最後の会話になった…と、マネージャーは語っています。

北海道講演会の日、マネージャーの元に突然1本の電話が鳴ります。
「阿藤さんが来ていない。」と言う、先方からの連絡でした。

阿藤さんは決して仕事に穴をあけない仕事人間だったため、
心配したマネージャーが阿藤さんのマンションを訪れました。
阿藤さんは都内のマンションに一人暮らし。

中にマネージャーが入ると…
ベッドの中で眠るように息を引き取った姿があったそうです。
髪の毛は次の仕事に向け、きれいに切り揃えられていた阿藤さん。
誰も予想していなかった突然死であったことが改めて認識させられる事実ですね。

阿藤さんの死をきっかけに、事態は急変します。
なんと、阿藤さんの葬式の時に、息子と名乗る一人の男性が現れます。
亡くなるまで決して語られることがなかった子供の存在が明らかになった瞬間です。

亡くなった阿藤さんの素性は誰もつかめず、
週刊誌に
”一人息子の断絶”として
センセーショナルに報じられることもありました。

息子さんの顔画像は一体どんなものなのでしょうか?
また、ひた隠しにしてきた息子さんと阿藤さんの関係性は一体どんなものだったのでしょうか?

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阿藤快の息子は本当にいた!画像で見る親子の証拠!

生前、阿藤さんがひた隠しにしていた息子の存在。
その顔が本当に売る二つの…
ちょっと強面の感じなんです!
画像がこちら!

阿藤基(もとい)さん(42歳)
この方はが阿藤さんの実の息子さんです。

基さんは今、江戸川区の町工場の金属加工工場で働いています。
元々はトラック運転手でしたが、1年前からこの工場で働いています。

基さんに阿藤さんのことを聞いてみると、
「ちょっとしか会ってないから…
父親の思い出はない」
と、親子でありながら父親に断絶された
愛憎渦巻く親子関係が明らかになったのです。

1973年、阿藤快さん27歳の時に
大学生の頃からの恋人と結婚します。

2年後、基さんが誕生しました。
駆け出しで、まだ売れない役者だった阿藤さんとお子さんを
奥様が働いて生活を支えていまいした。

基さんには父親らしい阿藤さんの記憶が何ひとつなく、
「近くのパチンコ屋さんがあって、
そこにお父さんがいて…
”時間だよ”って言ってきなって言われて、
探して、そのまま仕事に行っちゃう」

「”時間だよ”くらいしか言わない会話」

と、親子とは思えないくらいに淡々とした会話しか
基さんの記憶には残っていませんでした。
阿藤さんはテレビではとても気さくで親しみやすいキャラクターでしたが、
実生活では口数が少なく、そっけない父だったようです。

基さんが小学校5年生の時に、
阿藤さんは衝撃的な現実を突きつけます。
「母さんと父さん、どっちと暮らすか選べ。」
両親の離婚に伴い、基さん本人にどちらと一緒に暮らすかを選ばせたのです。
まだ小さかった基さんは身の回りの世話をしてくれる
母を選ぶしか道はありませんでした。

この両親の離婚を機に父とは会うことはなくなってしまいます。

「月に1回、3人でごはんを食べる約束はしたけど、1回もない。
会いたかったですよ・・・。」
と、当時の心境を語ってくれた基さん。

息子との約束を何ひとつ守らなかった阿藤さんは
その後、教師ビンビン物語でブレイクしますが、
裏切られたと感じていた基さんは学校などで阿藤快の息子と名乗ることはありませんでした。

すでに確執があった親子関係ですが、
基さんが思春期を迎えるとさらに親子関係悪化させる事が起きました。

ある日突然…
酒に酔った阿藤さんが元妻(基さんの母)に電話をしてきました。
軽薄な阿藤さんの態度に怒りが爆発し、
電話口で怒鳴ってしまった基さん。
それ以降、阿藤さんからの電話はぱたりと無くなってしまいます。

そうして20年以上顔を合わせることがなかった2人。

2015年11月14日、奇しくも自身の69回目の誕生日に亡くなります。
急遽喪主を務めた基さんの心境は
憎しみ・悲しみ・後悔と複雑なものだったそうです。

阿藤さんは名グルメレポーターとして年間200日程、
日本全国津々浦々回っていたため、
多くのお店に阿藤さんのサインが置いてあります。
基さんはそのサインを見る度に
「父はどんな人だったのかなぁ…」
と、亡き父に思いを馳せるそうです。

阿藤さんに息子さんがいたことは本当でした。
ですが、親子関係にここまで根深い亀裂が入っているとは
誰も想像できなかったのではないでしょうか。

あの親しみやすいキャラクターの裏の顔が
無口でそっけないというところにも驚きました。
今、阿藤さんは天国でどちらの顔で息子さんを見守っているのでしょうか…。
気になるところですね。

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